のんのんばあとオレ
水木 しげる
一昨年の夏、義祖母の法要で、米子に住む叔父のところに出かける機会があったので、かねてから行ってみたかった境港に出かけたことがあります。
どうして境港に行ってみたかったかというと、そう!水木しげる記念館があるからです!(笑)そんな機会でもなければ、なかなか行けない場所ですからね〜。
JR境港駅前から水木しげる記念館に向かう「水木しげるロード」は妖怪のモニュメントがあちこちに設置され町全体がまるでテーマ・パークの趣。
街灯はこんなん↑だし、通りにはこんな調子で↓モニュメントが設置されているのですから。
これは水木しげる記念館前にある「目玉親父」↓
こんな風に、今ではすっかり境港を代表する「名士」になってしまわれた水木しげる氏ですが、こどもの頃は勉強嫌いの腕白坊主だったのですねえ〜
少年時代の思い出がエッセイとして綴られる本書「
のんのんばあとオレ」は飾らない氏のお人柄がよく表れています。
様々な人間模様が語られるなかでも、やはり「のんのんばあ」との場面には惹き込まれます。
家を出てすこし歩くと、カモメもいないのにやたらとカモメのような声がする。オレがきょろきょろしていると、のんのんばあは、あれは「川赤子」だというのだ。川赤子はあちらだとおもうとこちら、こちらだとおもうとあちらというように声が聞こえる、すがたを見たものはない、とのんのんばあはまじめな顔で説明した。
そういわれるとカモメよりネコの声に似ていて、たしかに「川赤子」だとおもえてくる。のんのんばあは笑いもせずにまじめな顔でいうから、疑う気はミジンも起きない。お化けはいるのだ、しかもそこらじゅうにいるのだ、という気持になってくるのだ。
そのうちに、だんだん日がかたむいてきた。どこかでゴーンと鐘がなった。
読んでいると、自分もまるで田舎の砂利道をのんのんばあと一緒に歩いているかのような気分になってきます。
私の生まれ育った故郷も竹藪や林が多く、藪に踏み分け入れば柵も無い溜池や蜜柑山の点在する地域でした。
晴れているのに雨が降っている「狐の嫁入り」の話などは、子供の頃に小母さんが話してくれた様子とよく似ています。だから「のんのんばあは笑いもせずにまじめな顔でいうから」という雰囲気が何となく分かる気がするのですよね。
戦前は美徳だった「信心深い」という心は、戦後、効率化が求められて経済優先になるにつけ「うさんくさいもの」になり下がってしまった感があるのですが、同時に、見えないものを見る力は明らかに低下している感じがします。
でも本当はみんな、妖怪を見たい気持ちがあるんじゃないかな。
そうでないと、町ぐるみであんな立派な妖怪ロードを作ったりはしないと思うのです。
妖怪を見ながら歩いていると、異世界散歩をしているようで楽しいんですよ。水木しげる記念館の前に一番堂々と立つのは「のんのんばあと幼い頃の水木しげる像」です。
代表作である「鬼太郎」より目立つポジションにのんのんばあが居るところが、いいセンスしてますよね(笑)
水木氏の「原点」ここにあり というのがさりげなく主張されている気がしました。