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    ルネ・ラリック 華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ

    芥子

    台風が近づきつつある8月の終わり、六本木の国立新美術館に「生誕150年 ルネ・ラリック 華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ」を観に行ってきました。

    2年前に開館したのは知っていましたが、ここに来たのは初めて。
    建築家の黒川紀章氏による設計だそうで、今までにはない感じの現代的な美術館なんですね。
    吹き抜けは開放的で、レストランやカフェもその空間を生かした配置になっていて、デートスポットにもなりそう。

    国立新美術館


    大規模なラリック展は1992年に竹橋の国立近代美術館で観た以来。
    あのときは激混みだったので今回も覚悟して来たのですが、思ったほどの混み具合ではなく適度な流れで観れました。
    末の双子娘は美術館デビューです。ラリックの図録(92年のやつ)を見せたら一緒に見に行くと言うので。ちょうど夏休みだったし、いいタイミングでした。

    ラリックの大きな展覧会はいつもジュエリーとガラスの部門に分けられています。
    5月に「Story of…」カルティエ クリエイション展を東京国立博物館に観に行ったところだったので、つい比較してしまうんですが、カルティエが贅の限りを尽くした「イギリス王室御用達の超高級ジュエリー」ならばラリックのジュエリーはどちらかといえばアーティスティックな冒険心に満ちた「作品的ジュエリー」。
    使われている材料(要するに宝石類)も結構普通のグレードのもの。石のクオリティはカルティエで使われているものとは相当違うんですね。
    同じフランスに生きて、ジュエリーを制作する以上、カルティエとは一線を画した作品を作らないと意味を成さないだろう・・・という気概もあったんじゃないでしょうか。宝石の高価さではなく、作品そのもので勝負、みたいな。

    だからなのか、初期の作品は情熱に満ちています。
    その情熱がガラス制作に移行しても変わることなく、冷たいガラスのはずなのにラリックのガラス作品には体温があるかのよう。
    その熱さが、魅力なんだろなあ。

    ただ、テーブルウエアの展示ではちょっと「量産品」っぽくなってしまっている感がありましたね。
    展示数を削りたくないけど予算がないからこれで誤魔化しちゃえーというような企画側の事情があったんかな。
    率直に言えば、前回の国立近代美術館でのほうが「熱い作品」が多くて見応えがあったと思いますが、美術展も不況の影は避けられないんだろうということで、しょうがないです。

    国立新美術館でのルネ・ラリック展は終わってしまいましたが、記事のトップ画像の「芥子」は世田谷美術館の「オルセー美術館展 パリのアール・ヌーヴォー9月12日(土)〜11月29日(日)」で出展されるようです。
    世田谷美術館は砧公園のなかにあり閑静でいいところなので、散策がてら出かけるのもいいかもしれません。

    JUGEMテーマ:美術鑑賞
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      フェルメール展 〜光の天才画家とデルフトの巨匠たち〜 / 東京都美術館

      フェルメール「手紙を書く婦人と召使」
      「手紙を書く婦人と召使い」 ヨハネス・フェルメール
      1670年頃 油彩・カンヴァス 72.2×59.7cm
      アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵


      雨が降ったり止んだりの曇天の日曜日、東京都美術館に「フェルメール展〜光の天才画家とデルフトの巨匠たち〜」を観に行ってきました。しかし、行ったのが最終日で、しかも日曜日だったせいか入場規制もあり、入るのに約1時間待ちという凄い人出。日本人ってこんなに絵画好きな民族だったけかなあ。

      んで、本題。
      フェルメールの作品はわずか30数点と少なく、世界各地の美術館で所蔵されているため、7点同時に出品される今回の展覧会は稀有な機会なのだとか。
      確かに、本来ならオランダやイギリスに行かなくては見られない作品の数々を一度に観られるというのは、すごいことですよね。

      フェルメールの作品を眺めていると、モチーフに対して一定の距離感を感じます。
      内面まで緻密に描きこみながらも、どこか別の場所から客観視しているような。
      だけど、それぞれの人生には密やかな物語があって、その思いは時間を越えて絵のなかに残されていく。
      絵画を観る楽しみはそこにある気がしました。


      今回は初めて息子と一緒でした。
      彼が「フェルメールの絵を観に行ってみたい」と言うので、夏になる前から「じゃあ一緒に観に行こう」と約束して前売り券も買ってあったのに、すっかり冬になってしまった・・・(汗)ぎりぎり間に合って良かったです。
      子供と上野に来るときはいつも上野動物園だったのに、大きくなったんだねえ。
      国立西洋美術館にもほんのちょっと寄れたし、楽しい半日でした。
      上野の美術館散策は学生の頃いつも一人でしたが、息子と一緒に来れるようになるとは嬉しいことです。いつまで母とこうやって歩いてくれるんだろうねー(笑)


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        井上雄彦 最後のマンガ展 / 上野の森美術館

        井上雄彦 最後のマンガ展

        井上雄彦 最後のマンガ展 会期終了間際に観に行ってきました。
        っていうか、もう1ヶ月近く前のことですが。遅筆でレポ上げるのが遅くなってしまった・・・何だか時期はずしてますが、最近えらく文章書きに時間かかるのでご容赦を。

        この展覧会をやるというのは、今年の春先くらいから知ってはいたのですが、実際に観に行けるかどうかわからなかったので前売り券を買わないでいたら、これが大失敗。
        上野で久しぶりにみっちぃさんとお会いしたとき、当日券で観に行こうとしたのですけどね、10時半に会場前に行くと「当日券購入整理券」なるものを配布しており、それが何と「16時から18時に購入しにきてください」というモノ(汗)
        それでもまだ整理券を貰えただけラッキーなほうで、その30分後には整理券の配布も終了してました。11時過ぎに美術館に着いたひとは当日券を買う事もできないという。

        しかし、その日は17時過ぎには帰宅しなくてはならなかったので、結局自分の分の当日券を夕方に買って帰り、翌日に再度出直し。
        いやー、とにかくこの人気ぶりはすごい。美術館前というよりもどこかのライブハウスの前のような人出と行列でした。

        修学旅行で上野を訪ねた中学生のグループも「あの・・・今から並んで実際に観られるのは何時頃なんでしょうか・・・?」と係員のひとにおずおずと訊いていましたが、入場は6時くらいになるのではないかと言われ、「じゃあ、これを観るのは無理だね・・・違う美術館に行こうか・・・」としょぼくれて立ち去っていました。あれはかわいそうだったな・・・。

        前置きのほうが長くなりましたが本題。
        これだけ当日券GETが困難なのは「入場規制」をしているからなんですね。押すな押すなの混雑では作品を満足に観られないだろうという作者の意向により、会場内を一定の人数で保とうということのようです。
        その甲斐あってか確かに会場内はほどよい空間で、昔観た大混雑の「ルネ・ラリック展」などよりも全然見やすかったですね〜。
        入場のために並ぶのは大変だけど、鑑賞する環境がいいのでその苦労も報われるというものです。

        マンガという媒体を使って、美術館全体をインスタレーション作品に仕立ててあるので、この作品展は他の美術館に巡回展示させるのは不可能に近いんだろうな。
        壁面の具合や空間感も最大限に利用して描かれていて、ひとつの物語を美術館で構成してある・・・1点1点の作品をを個別に陳列している美術展と違って、その空間を作家の世界観で支配しているという点では、昔観たジョナサン・ボロフスキー展を思い出しました。

        それにしても井上さんはマンガの連載をお持ちのうえでこちらの制作も手がけていたわけで、そのエネルギーとバイタリティには脱帽です。

        実家から遠くない距離に久保惣記念美術館という、こじんまりした美術館があり、以前はよく母と一緒に出かけていました。
        そこには宮本武蔵作の水墨画「枯木鳴鵙図」が所蔵されていて、私はそれを眺めるのが好きだったんですね。
        絵師を生業とするひとの絵と、ちょっと雰囲気が違うと言うか、求道者的な筆致で描かれていて。ある世界を極めたひとは、視線も世の中を超越しているんだなあと思えた作品でした。

        井上氏の作品も、その雰囲気に近くなりつつある気がします。
        弛まぬ求道精神が多くの読者を魅了するんでしょうね。

        井上雄彦 最後のマンガ展 当日券

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          ムンク展 / 国立西洋美術館

          ムンク展


          先日、国立西洋美術館で開催中のムンク展を夫と観に行ってきました。
          2人で美術館なんていつ以来だろう。
          うちは仕事が基本的に自宅内なので、夫が家に居ない日のほうが珍しいくらいで、お子達も父親が居ないと「おとうさん今日はどこに行ったの?」とそれぞれが訊きに来るくらい。とにかく「父親は家に居るのが当たり前」みたいな家なので、夫婦いっしょに居る時間はたぶんすごく長いのでしょうが、こういう風に2人で出かけるのはかなり久しぶりのことです。美術館にお出かけなんて数年ぶりでは。たまにはこういうのもいいですね。

          ムンクはまとめて観たことがないので、是非観たかったのです。
          ムンクといえば「叫び」がパッと思い浮かびますが、ああいった重い色彩以外の作品も数多くあり、狂気も生命力も希望も絶望も全てを描き出そうとした画家だったことに気付かされました。
          こういう大きな美術展のいいところは、多角的な方向からアーティストの作品を観ることができることですね。

          たぶん、所蔵美術館から借りられた作品がそうだったから・・・というのもあるのでしょうが、未完の作品がいくつも目に付きました。
          もう、何と言うか、明らかに「書きかけ?」みたいな作品もあり、ちょっと笑いそうになったものもあったな・・・(爆)
          まあね、多くの場合画家というのは1つの作品だけにかかりきりになっているわけではなく、並行して作品に取り組んでいるんでしょうね。
          んで、あっち書いたりこっち書いたりしている。中には「ちょっとこれはしばらく置いておこう」みたいのもあるでしょう。
          大体において美術というものはどこまでやったら完成というような明確なゴールはありませんから、どんな段階で完成なのかというのもまた難しい。
          作品解説にも「この部分は発表時には無かったが、後年、加筆された」みたいな記述がいくつか見受けられましたし、ムンクという作家は自分の作品についていつまでも思いを巡らしているタイプなんだろうなと感じました。
          そのせいか、制作途中っぽいものが多いっていうか・・・まあ、そういう人間くさいプロセスを感じることができるのも美術展の面白さなのかもしれません。

          さすがにオスロ大学講堂の壁画にするようなプロジェクトになると仕事も手が込んでいて映像で観る限りでは完成度の高そうな作品なんですが、そういう作品は「現場保存」されていて動かせないので、現地に行かなくては本物を観ることはできません。

          興味深かったのは「リンデ・フリーデ」という作品群。
          ドイツの眼科医でありムンクの支援者でもあったマックス・リンデは子供部屋の装飾パネルをムンクに依頼するのですが、出来上がった作品がどうも子供にふさわしくない雰囲気・・・。気になったリンデは制作途中段階でムンクに手紙を出しています。
          「男女がキスしたり愛し合ったりする絵は描かないでください。子供はまだそんなことはわからないのですから・・・。風景画などのほうがふさわしいように思います」
          作家のプライドを傷つけないように丁重に、しかしきっぱりとした文面でクライアントとして注文をつけたのですが、ムンクは無視して描き上げてしまうんですね。
          結局、リンデは仕上がった作品の受け取りを拒否してしまいます。
          不思議だなと思ったのは「何でよりによって子供部屋の装飾をムンクに依頼したかなー」ということ。
          ムンクの作品は退廃的だったりエロティックだったり、どう見ても子供向きな雰囲気ではないよね。ムンクの作品に魅力を感じてパトロンになるのであれば、自分の注文はちょっと無理な内容であろうと最初から分かりそうなもんですが・・・。
          あえて、自分の依頼によって作風を変えさせてみたかったとか?
          クライアントとの確執というのはいつの時代も同じなんだなあ。絵画だの工芸だの、何らかの創作活動で生きていこうというのは現実との擦り合わせが難しいものです。
          芸術性と商業的であることはまるっきり対称に位置するものではなく、共存し得ることだと信じたいですが、そのバランスを判断するのが当事者にはなかなか困難なんですね。

          Madonnna
          マドンナ
          1895年
          オスロ市立ムンク美術館


          生命のダンス
          生命のダンス
          1925-29年
          オスロ市立ムンク美術館


          内省的な作品を創造するひとというのは、母親を早くに失っているひとが多い気がします。
          ムンクもその1人で、姉にも若くして死に別れてしまっている。
          子供時代に肉親を亡くした喪失感というのは、その後の人生に計り知れない影響があるのでしょうね。その喪失感や欠落感が創作への原動力になるのだとしたら、神様はまるでそのために選ばれたひとに試練を与えられたのだろうかとも考えてしまいます。

          上野・国立西洋美術館にて2008年1月6日(日)まで開催中。
          その後はこちらでも→兵庫県立美術館にて 2008年1月19日(土)〜3月30日(日)

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            ダリ回顧展

            DALI
            「記憶の固執の崩壊」
            油彩 カンバス 25×33cm 1952-54年 
            サルバドール・ダリ美術館所蔵


            先週、上野の森美術館で開催中のダリ回顧展みっちぃさんと一緒に出かけてまいりました。
            それにしても平日だというのに凄い人・人・人・・・土日や祝日は更に混雑するのだろうな〜と想像しますがホントに凄い人出でした。

            ダリの作品をナマで見たのは初めてでしたが、思っていたよりも作品のサイズが小さいんですね。作品が小さいのに大勢の人が見に来るわけですから、鑑賞するためには必然的に作品前が混んでしまう・・・というのもありそうです。
            また作品解説用に音声解説機器のイヤホンを有料で貸し出していたのですが、それを聞きながら鑑賞する人はどうしても鑑賞時間も長くなり、人の流れがスローになってしまうんです。(しょうがないけど)
            しかし音声で解説を聞けるひとは個々の作品についての背景を参考にしながら鑑賞できるのですが、作品について解説するためのパネルが展示室内には無く、イヤホンを借りなかったひとには参考資料となるものが与えられないというのは美術展としてどうなのかな。
            「有料で音声機器を借りないと何も解説してくれないの・・・?」という不満が残りました。
            展示するスペースが無いなら展示作品目録に印刷するとか、やろうと思えば出来る筈です。ちょっと通常の入場者に対して不親切な感じがしました。この辺り、予算の関係もあるのでしょうが、キュレーターさんたちにもう少し再考していただきたいところです。

            展示や構成に対する愚痴はさておき、ダリ作品はとても見応えがありました。
            10代の作品からして完成度が非常に高く、デッサン力も少年の頃からずば抜けて素晴らしい。天才が努力すると凡人はもう到底敵いませんね。
            前述したように作品のサイズが小さめなのは彼が「20世紀の画家」だったからなのかな?どうしても買い手に好まれるのは「屋内で飾れる絵」ですから、住宅事情が現代化し戦争を挟み景気が下向きな時代には画家も作品のマーケティングを意識せざるを得ないんですよね。マーケティングに関してはダリの伴侶であったガラが長けていたそうなので、そういった影響もあるかな?

            世界教会会議
            「世界教会会議」 
            油彩 カンバス 299.7×254cm 1960年
            サルバドール・ダリ美術館所蔵


            こちらの「世界教会会議」が今回随一の大作でした。
            ガラが女神に喩えられている作品はこのほかにもあり、それらは夫婦愛の証なのかと思ったのですが、自分がもし夫にそのように捉えられ絵に描かれたらどうか と考えてみたら何となく抵抗があります(汗)
            だって女にしてみればそんなに想われ依存されたら負担に思うのでは?少なくとも男女の関係として対等ではないように思える。
            これは庶民的センスな私だから感じる違和感だろうか・・・芸術家のカップルはもっと超越しているのだろうか・・・ と思っていたのですが、ガラがダリのもとで穏やかに安住できなかったのも事実だったようで、彼女は妻でありながら奔放な浮気もしていたらしいですね。
            ガラが自分から離れていくにつれ、彼女を「女神」に模した姿で描く作品が増えていったといいます。逆に考えればガラがそういった自由奔放な女性だったからこそ「世界教会会議」などの名作が生まれたのかもしれませんし、傑作誕生に至る道程はひとすじなわではいかないものがあるのですね。
            ■ SALVADOR DALI 生誕100年記念 ダリ回顧展
            2006年9月23日(土)〜2007年1月4日(木) 東京・上野の森美術館
            午前10時 〜午後6時 (入館は閉館30分前まで) 全104日間 会期中無休
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              見つかって良かったね〜

              ムンク

              強奪のムンク作品発見 「叫び」と「マドンナ」 (エキサイトニュース)
              【ロンドン31日共同】オスロからの報道によると、ノルウェーの警察当局は31日記者会見し、2004年8月にオスロのムンク美術館から強奪され、行方不明となっていた同国の画家エドバルト・ムンクの代表2作品「叫び」と「マドンナ」を発見したと発表した。
               警察当局者によると作品は、比較的良好な状態という。作品発見の詳しい経緯などは不明。

              強奪されたときもビックリしましたが、何はともあれ見つかって何よりです。よかったよかった・・・
              しかし、こんな名画を盗むってどういう神経してるんだろー。
              作品のファンだったとか?金銭目的だとしたらおかしいよね。余りにも有名すぎて作品を売りさばくことも難しい気がするし。(一般には知られていない闇のルートがあるのだろうか)
              そもそも盗まれた当時、所蔵美術館の警備もユルかったらしいのですが、盗難を教訓に厳しくなったのでしょうか。
              過剰な警備というのも美術鑑賞の楽しみを削がれてしまうので困りますが、そんな簡単に盗難に遭ってしまう状態だったというのはもっと困るかも。
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                プラド美術館展に行ってきました

                天気予報では午後から雨とのことでしたが、mitchieさんと上野の東京都美術館にプラド美術館展を観に行ってきました。
                mitchieさんとの美術館デイトは何度目だったかな〜 もう3度目だったような。
                学生時代はしょっちゅう美術館めぐりをしていたものですが、育児中はなかなかそういうことも出来ませんからね〜
                それでもルネ・ラリック展なんかには時間を捻り出して出かけたものですが。

                末娘も小3になったことだし、「フットワークを軽くする計画」の一環として美術館めぐりを復活させているところです(笑)

                プラド美術館展

                ティツィアーノ「アモールと音楽にくつろぐヴィーナス(ヴィーナスとオルガン奏者)」が大きなパネルにされた都美術館前。こんなヌード、堂々と公開していいのだろうか、とちょっと思った(爆)
                表看板に印刷するならほかにも相応しい名作はあったと思いますが・・・インパクトのある看板にしたかったのだろうか?

                十字架を抱くキリスト
                エル・グレコ「十字架を抱くキリスト」


                エル・グレコの本物を見たのは初めてです。
                イメージしていたより小さな作品でした。(108cm×78cm)
                何となく、もっとでかい作品なのかと思ってた。
                サイズが手ごろな宗教画が描かれるのは、個人の礼拝用に飾りたいというニーズも多かったからかも。
                よく考えれば、教会とか宮殿に展示する作品ばかりじゃないんだもんね。

                無原罪のお宿り
                ムリーリョ 「無原罪のお宿り」

                可憐なマリア像です。
                甘い雰囲気が漂う中世の絵画はドラマチックで観ていて楽しいですね。
                現代美術も好きですが、この手のドラマチック度では中世に敵いません。

                ゴヤの作品もありましたが、「着衣のマハ」「裸のマハ」は残念ながら来日せずだったようです。あれ観たかったな・・・。さすがにマハは門外不出かしら。

                それにしても、凄い人手でした。平日なのに(汗)。
                「ダ・ヴィンチ・コード」ブームの影響か?
                プラド美術館展は宗教画がとっても多いのですが、日本人ってこんなにキリスト教美術好きな民族だったっけか と素朴な疑問が湧きました。

                夏目漱石の小説「門」のなかに、
                「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の外に立ち竦(すく)んで日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」
                というくだりがありますが、これは宗教に対する日本人の対し方を象徴的に表している気がします。
                文化として、教養として、門のなかに興味はあるんだけど、深くは入り込めないっていうかね。
                夏目漱石は留学経験があるひとで、「外から見た日本(日本人)」という意識を持っていたんだろうな。信仰とか宗教とかが生活に染み渡っている人と接触すると、根本のところでは理解しあえない文化があるということを痛感してしまうのが日本人だと思う。
                それが「不幸な人」であると断言するのは過激だけど、ある意味民族的拠り所が自覚できないという不幸は孕んでいるのかもね。

                美術館を出たあとはアメリカンレストランでランチをして楽しいひとときを過ごしました。その後、雨が降り出したアメ横を歩き、シルバーアクセの店を覗いたり、ヨドバシカメラやハードロックカフェ・ショップを覗いたり。
                上野のハードロック・カフェ。初めてお店のあるとこ知りましたよ。
                私、あっちは通らないんだよね大体。いつも公園口から外に出てアメ横寄りの入口から駅に入っちゃうからなあ。
                表にディスプレイされていたメニューを見てビックリ。
                珈琲が900円とかハンバーガーが1700円とか。ぎょっ。
                親戚の兄ちゃんがハードロックカフェに勤めているけど、こんなバカ高い店だとは思わなかった〜〜
                なのでお茶に入ることはせず、ショップのほうでTシャツ・ウォッチングして何も買わずに出てきました(爆)

                あんまりお洒落な場所に行かないでアメ横方面をうろつくというのがmitchieさんと私の嗜好を反映しているかも。
                こんな風に羽を伸ばせるお出かけは貴重なんですよね。
                楽しい時間はすぐ過ぎてしまうなあ〜mitchieさんいつもありがとうです☆

                追記:
                プラド美術館展 東京展は7月2日まで東京都美術館(上野)で開催中。
                大阪展は2006年7月15日(土)〜10月15日(日)大阪市立美術館(天王寺公園内)で開催予定となっています。
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