[本] 小説・短編 | Paradise City

Paradise City

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    いつまでもアヴァンギャルドなひとだなあと思う

    筒井康隆さん、73歳でライトノベル作家に (MSN産経ニュース)
    「虚人たち」「朝のガスパール」などの著作で知られる日本を代表するSF作家、筒井康隆さん(73)が若者に人気の「ライトノベル」を執筆することが、9日までに発表された。筒井さんの公式ホームページによると、「ビアンカ・オーバースタディ」というライトノベル作品を2008年1月発売予定の雑誌「ファウスト」(講談社)に掲載する。詳細は未定という。
     ライトノベルは、挿絵を多く含み中高生向けの内容・文体で書かれた作品の総称とされる小説の1ジャンル。一般小説とは区別して扱われることが多く、文学賞受賞経験も多いベテラン作家がライトノベルを執筆するのは異例。

    すみません。記事が短かったので全文引用させていただきました(汗)
    わたしは筒井康隆氏の作品が好きで、中高生の頃はよく読みました。というかあの頃は読書家だったよな・・・最近はめっきり読書のペースは落ちておりますが・・・。

    筒井作品は全作読破しようと試みたこともあったのですが、追いつかなくなってしまって悔しかったなあ。
    こっちは読むだけなのに日常に追われているうちに新しい作品が増えているから、なかなか追いつかない・・・みたいな感じでしたもんね。
    自分が受験生になってしまうと完全に追いつかなくなってしまいましたが。
    絶筆宣言にしても「またまたあ」と思いつつ内心ちょっと不安だったのですが、執筆再開してくれてほっとしたです。
    やっぱりね、ある時期に読みふけった作家さんの存在というのはね、しばらく離れていても気になるもんなんですよねー。

    上記の記事、型破りで実験的作品も多い筒井作品が好きなひとはきっとそれほど違和感を感じないでしょうが「文学賞受賞経験も多いベテラン作家がライトノベルを執筆するのは異例」なんて書かれていますね。
    だけど、ライトノベルというカテゴリが過去に無かっただけで「時をかける少女」とか七瀬シリーズなんか、まんまラノベになってもおかしくないシチュエーションだよ。まあ、「家族八景
    」はリアリティありすぎなデフォルメが生々しいので、ラノベ向きでなかろうという部分もありますが・・・。「七瀬ふたたび」のほうがドラマチックではあるかな。
    どちらにしても、超能力少女が活躍するというテーマはまんまラノベでいけるでしょう。
    「時をかける少女」は実写映画のほかにアニメ化もされていたらしいです(知らなかった)。

    SF作家さんがラノベを執筆すること自体は不思議ではない気がするな。
    いまでこそSF作家は市民権を得ている風ですが、昔は純文学の世界から「SFなんか」と相当見下されていたようで。(過去のエッセイなどではそれについて触れたものも・・・)
    こういうクロスオーバーを通して権威主義的な文壇に風穴を開けようとしてくれているのか、それともただの好奇心か、その両方なのかはわかりませんが、どんな作品が出てくるのか単純に楽しみ。
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      クレイジーフラミンゴの秋 / 誼 阿古(よしみ あこ)

      水辺に片足で立っているフラミンゴ。
      あんなに細い細い脚で片足立ちだなんて、大丈夫なんだろか・・・
      たぶん、フラミンゴの側からするとそれは至極当然の所作なのだろうが、見る側からするといかにも心許ない立ち姿に見えてしまうのだった。
      本人は常に自然体なのに、外から見ると何とも危なっかしいその様子は、確かに中学生くらいの女の子とよく似ている。
      紅い炎の色を羽に湛えたフラミンゴはいつも群れているのに、時々その群れから外れてしまうものがいるらしい。群れからはみ出てしまうと「クレイジー」だと呼ばれてしまうのだった。
      決して仲間が嫌いなわけじゃない。
      でも噂話や湿度の高い付き合いに馴染めない少女は、時々群れから離れないと窒息してしまいそうになるのだ。それが生きるための努力であるということに、なかなか気付いてくれるひとは少ないけれども。

      この作品は前作「クレイジーカンガルーの夏」のスピンオフ作品。
      とはいえ、前作から読んでいるひとにもそうでないひとにも充分読み応えのある作品になっている。

      今回の主人公「菅野晴」は中学1年生の少女で、優等生の両親に育てられたせいもあり、いまひとつ自分に自信が持てない。
      学校と家庭の日常を平穏に暮らしたければ、自分の心を無防備に露わにせず上手に振舞う必要がある。しんどいけれど、そうしないと尚面倒なことになることも察しがつくから。

      そんな日常の延長は合唱コンクールを契機にして、晴を含む彼らに現実と向き合うとはどういうことなのかを気付かせていくのだった。
      その風景の先に広がるのはビリー・ジョエルの「ピアノ・マン」。
      たぶん私は今後ピアノ・マンのイントロを聴くと、この美しい反逆のシーンを思い浮かべるだろう。反社会的な態度を取るだけが反逆ではなく、しなやかに挑戦することもその手段であるということ。ロックの本質は、そこにあると思う。

      阪急32番街の輸入盤店は私も頻繁に出入りしていた。その空気や人いきれなんかも当時のまま思い出すことができる地の利があるとはいえ、この店内のシーンやエレベーター・ホールのシーンは、映画のワンシーンのように鮮やかだ。
      あの頃は32番街の展望ホールに居る事も平気だったのに、あるときを境に高層ビルが怖くなってしまってもう随分ご無沙汰している。
      大人になったらもっと自由になれるんだろう・・・と昔32番街をうろついていた頃に漠然と思っていたものだけれど、歳を重ねるとその分の責任とか義務ももれなく付いてくるので、中高生の頃に思い描いたような「自由な大人」は実は幻想だったのだなとわかってしまった。

      晴の担任である原田先生は、リアルに大人を生きているのだけれど、生あたたかい優しさで生徒を丸め込んだり誤魔化したりしないところがいい。こんな風に向き合ってくれる先生が居れば、生徒もラッキーだ。
      何よりこのひとは色んな意味でいい男である。

      サラ・ヴォーンの「ラヴァーズ・コンチェルト」、YMOの「RYDEEN」、ビートルズの「SHE'S GOING HOME」ブルース・スプリングスティーンの「RACING IN THE STREET」・・・ここでは紹介しきれない挿入歌の全てが、単なる演出上のB.G.M.でなく作品のストーリーとしっかり切り結んでいるのが素晴らしい。
      うーん、やっぱりこれはサントラが欲しいですね マジで(笑)自分で作ろうかな。
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        とりあえず面白いものから薦めてみる

        小・中学校には「朝の読書」という時間が設けられてるところが結構ある。
        毎日5分とか10分とかの時間、生徒全員が各自持参した本を読むのですね。要するに「子供たちに読書の習慣を付けよう」という目的で実施されているのでありましょう。

        その趣旨自体は確かにいいことだし、子供達にはもっと本を読んで欲しいと私も思う。
        とはいえこんなことをしても、やはり「生徒全員が読書好きになる」という絶対的な効果があるわけではないようで、うちの息子(中1)などは未だにいまいち読書に興味が持てない様子。

        子ども達が小さい頃はよく絵本も読んでやったし読み聞かせだってしていた。
        その名残でうちには絵本も児童書も、その他あれやこれやの本は結構ある・・・なのに何で本好きに育たなかったんだろう。「絵本を読んであげれば本好きに育ちます」というあちこちで耳にした子育てアドバイス、あんなの嘘だったんですね?それらが無意味だったとは全然思わないけど、一律的なスローガンなんて所詮適当なもんなんだよねえ。
        すごく当然なことを言うならば、結局のところ「その子による」ということだけは確信できる今日この頃。

        幸い末娘は本好きに育ち、最近は一心不乱に「ドリトル先生シリーズ」を読んでいるけれど、この本だって本当は息子が読むといいかもしれないと思って頑張って揃えたものだったりするのだった。
        当の本人は結局2〜3冊読んだきりで続かなかったけれど・・・。
        残念だけど、彼が本を耽読する姿など見たことあったろうか。

        子どもたちのうち誰も完読できないと本がかわいそうだから、末娘が興味を示してくれたのは救いだった。

        話は戻り、それでも学校での「朝の読書」では何か本を読んでいないと格好が付かない。とにかく何か持っていかなくてはならないというある日、息子が相談に来た。
        「明日、本持ってかないといけないんだけど、何を持っていけばいいかな。何か面白そうな本ある?」

        どうせと言っては悪いが、たぶんこの子は長編小説なんかだと途中で飽きてしまうだろう。
        今まで自力で長編をしっかり読み終えた充実感を持ったことのない子は、いくら中学生だからといって長編は厳しいと思うのだ。児童書などにはよく「対象年齢」が書かれているけれど、あれ、一応の目安ではあるんだろうけど乱暴な括り方だよなと時々思う。
        年齢で括れるものじゃないよね本って。「読書力」って年齢と比例しないよ。

        短編集で飽きない内容で文庫になっているものをざっと探してみた。単行本だと学校に持っていくのに重いですからね。
        らも咄そこで薦めてみたのが「らも咄」。
        中島らも作の創作落語噺集。これなら上の条件にも一致するだろうかなと(笑)
        啓蒙かまぼこ新聞」とかも私は好きだけど、あっちはちょっとマンガチックだからね。学校に持っていくのはちょっと控えたほうがいいかも。

        そうして学校に持っていったところ、もう読みながら笑いをこらえるのが大変だったらしい。
        「お前なに笑ってんだよ〜」
        と同級生からも言われ、
        「これが面白いんだよ」
        とちょこっと本を見せたところ、他の子たちのツボにもハマったようで
        「読み終わったら貸して」
        と言ってくる友人も居て、人気の一冊になってしまった。

        貸したきりまだ戻ってきていないんだけど、そろそろ返してもらうように言っておかないとな・・・
        私も、また読みたいから(笑)
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          クレイジーカンガルーの夏 / 誼 阿古


          クレイジーカンガルーの夏 
          誼 阿古


          家の事情、というものは所詮他人には分からないものなのだ 例え外からどんな風に見えようとも家庭内のことはそれぞれが負っていくしかないのだ・・・
          ということを、漠然と自覚したのは中学生の頃だったように思う。
          それはたぶん外部の人々に対して普通に自分の家庭の話をしたら、この物語のワンシーンのように
          「お前らんちって、一体いつの時代の人?」
          と半ば呆れて言われるのがオチだと気が付いたからで。

          先日刊行された「クレイジーカンガルーの夏」は誼 阿古(よしみ あこ)さんのデビュー作に当たる。
          都会でもなく田舎というわけでもない郊外の、旧来的イエ制度というのは厄介だ。旧来の大人たちは自分達にとって都合のいい封建主義だけを利用しようとするので、現実に生きなければいけない若い世代はその価値観のギャップに悩む。
          それでも確実に時代はバトンタッチされていくし、されなくてはならない・・・しかし、そのバトンタッチは必ずしも大団円に進められるわけではなく、様々な葛藤と軋轢を生み出しつつ、変わるものと変わらないものを馴染ませながら、ほんの少しずつ前に進むのだろう。
          ライトノベルというカテゴリのなかで、著者はよくこの「実感としてわかってもらいにくい家庭環境」を背景に少年の成長を描ききったものだ。

          主人公を取り巻く家庭環境はどことはなしに私の生家と似た部分があって、時代錯誤な大人たちに苦笑させられるシーンがいくつか。
          大きく違うところは、私の生家が斜陽とはいえ工業系の自営業だったことと、ニ人兄弟ではなく一人娘だったということか。
          主人公の兄に注がれる期待と理不尽なプレッシャーは、だから肌で理解できるものがあり「東京の私立ばかり受験した」という描写にも笑ってしまった。重苦しい「イエ」の空気から円満に合理的に離れる方法は無いものか・・・と行動すれば、自ずと取る行動だから。
          イエとか親に反発してツッパリになることの出来る子供というのは随分甘えてるよな、と当時実家に居た頃には思ったものだった。そんな風な道を選ぶことも叶わない世界も世の中にはあるのに・・・という感覚は今も根強く染み付いていて、ツッパリを主人公にした漫画や歌詞やテレビドラマのあれやこれやに共感することは殆ど無い。
          また地域的なものもあるかもしれないが、私よりもちょっと上の世代は「校内暴力」まっただ中で、その名残がある中学校の雰囲気はまだ荒れていて好きではなかった。
          授業中に騒ぎ、立ち歩き、校内を我が物顔で振舞うツッパリたちの行動など、ただただ鬱陶しかった私だったので彼らのスタイルに共感できるわけがないのだが。ただスタイルとしての派手さはインパクトがあるので色んな素材に使いやすいのだろうとは思う。でもそんな生徒はやはり少数で、殆どの生徒はこの作品に出てくるような「普通」な子供たちだったのだ。
          荒んだ学校など面白くない、家に帰るのもいや・・・という中学生時代を自分がどう過ごしたかという話はとりあえず置いておくとして。

          ある意味で結婚は束縛であるというイメージは一般的にあると思うのだけれど、少なくとも結婚して家庭を持つということは私にとっては確実な解放だった。少なくとも法的にイエの管理下に置かれることはなくなるのだから。
          家庭を築くという事は、社会的に独立した存在と認められるためには好都合な部分もあるのだ。だから家庭を破綻させるようなことは絶対にしてはいけないと結婚当初から思っていたし、母に自分の家庭内の愚痴を言ったこともなかったりする。それは自分の選択の敗北だったからだ。

          子供のうちはとりあえず努力次第で色んな選択肢があるのだが、大人になるにつれ選択肢は狭まり自分が選び取ってきたものだけが増えていくことになる。そうなった以上、自分の選択に如何に負けないで生きていくかという意地は持っていたほうがいい。そうはいっても「選択に負けない」ということが必ずしも決めたことをやり通すということと同義ではなくて。
          主人公の広樹が最後に自分で決めた選択は独立した大人としてのそれであり、そこに至るまでの道程にも興味をかきたてられる。

          少年時代に聴いた音楽とか見ていたアニメとか読んだ小説とか色々、それら全てがかけがえのないものとして描かれていて愛情ある描写が居心地良い。1979年が舞台の作品で主人公が気に入るのは「はっぴいえんど」好きなアニメは「ガンダム」兄の部屋から流れてくるのはイーグルスやクラッシュ サザンの「いとしのエリー」・・・・
          思春期に「それがあったから生きてこられた」という音楽とか漫画とか映画が「在る」ということは本当に幸せな時間だし、いまの中学生にこそ、そういった存在が必要なんではと改めて感じさせられた。

          逆に言えば、昔の作品のほうが求心力があったということなんだろうか。生きていないと、続きを見ないと人生損をするというような存在が減ったのか。
          自殺をするこどもが増えたということは勿論直接的な原因が最大だとは思うのだけれど、生きる支えになれるようなアーティストやクリエイターが減っているというシグナルのような気もする。視野を広げれば夢中になれる対象にも出会えるはずなのに、そのきっかけをつかめないでいるだけなんだと思う。

          大人になった広樹にとってカーラジオで流れてきた「はっぴいえんど」はきっと彼にとって唯一無二のものだったろう。
          そんな音楽は、きっと誰にでもあるはずなのだ。
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            ノルウェイの森 / 村上 春樹

             


            何となく、たまたま村上春樹作品に手が伸びることが続いてます。

            初めて読んだのは学生時代の主人公と同じ年齢のときでしたが、過去を振り返る大人になった主人公と奇しくも同じ年齢で再読してみました。
            ホント偶然なんですけどね。
            人間ってこういうスパンで後ろを振り向くものなのかな?

            映画化、テレビドラマ化、漫画化、舞台化されている「世界の中心で、愛をさけぶ」に対して、一度もドラマや映画になっていないベストセラーがこちら「ノルウェイの森」。
            これがいまだに映画化されていないのは私には嬉しい。この作品に関しては「ひとの手垢が付かなくて良かった・・・」と思う読者が多いんじゃないでしょうか?
            あるいはポルノ映画すれすれの性描写をリアルに描かなくては作品が成り立たないため、映像化するにあたって10代の少年少女に宣伝しにくいということもあるかもしれない。
            またはビートルズの曲がタイトルになっているため、楽曲の権利管理が厳しくてオリジナルを主題歌として使用できないというのも多少あるかもしれない。(この作品で他の主題歌はありえないことだし)
            または主人公の性意識が社会モラルとは折り合わないからとか?(爆)
            ベストセラー=映像化 が当たり前になってきつつある今、手付かずの作品が存在するだけでも珍しいことかも。

            思うんだけど、「ひとりの人を一途に思い続ける」ばかりが別に「純愛」じゃないんだよねえ。
            初めて読んだとき、「結局の所、ひとはひとを根源的に救ったり支えになったりすることは不可能なことなんだ・・・」と目の前に突きつけられたようで、寂しく孤独な諦観と強い苛立ちを覚えたものです。
            「こんな居心地の悪い作品が何でベストセラーになったんだろう?」と当時は不思議でした。
            当の村上氏本人も「どうして売れたんだろう・・・」と訝しんだといいますから、一体何が売れる作品なのかという基準は分からないものです。

            レビューなどでは賛否両論ですが、この作品はかなり感覚的・生理的に「共感する部分があるかどうか」によって、評価が分かれると思います。
            共感する部分が無いひとにとっては、主人公に対して抵抗を感じるだろうし、キャラクターの描かれ方も荒唐無稽な印象が残りそうです。
            共感する部分が少しでもあるひとは自分の体験がフラッシュバックするかもしれません。ある意味、「読む人を選ぶ作品」だと思う。

            今改めて読み返してみて、昔よりも「救い」が感じられたのが自分の変化でしょうか。昔は、ただただ辛い話だと感じていましたので。

            あと、どう見積もっても60〜70年代の洋楽が好きなひとでないと、面白みは半減するでしょう。いや、違うな。ストーリー自体の面白さは半減しない。
            B.G.M.がイメージできるほうが、作品の世界観がより鮮明になって面白さが倍になる・・・と言ったほうがいいでしょうか。
            だから尚、ベストセラーになったのが腑に落ちない。何だかんだ言っても、日本って洋楽ファンってマイノリティーですからね(笑)
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              またたび浴びたタマ / 村上 春樹

              上から読んでも下から読んでも山本山。って・・・平仮名で書くと「やまもとやま」なんだから下から読んだら「まやともまや」になってしまうやん?

              有名なところでは「たけやぶやけた」とか「ダンスがすんだ」とか、そういうさかさ言葉のことを「回文」と言うのですが、ナンセンス好きの私には大当たりの本がコレ
               
              村上春樹氏の50音順かるたになっている回文+ショートショートに友沢ミミヨさんのイラストが挿しこまれています。

              たとえば回文はこんな感じ。
              「浦和で蒔いた、ははは、と母は大麻で笑う」
              「役人人肉屋」
              「裸体が渋い武士がいたら」
              「臨死のマック抱く、妻の心理」
              「人の問ふ、ふとの問ひ」
              「蓋が何だ!旦那がタフ」

              とかとか。
              好きだなあ〜こういうの(笑)

              2000年初版なので、まだ発行されて5〜6年しか経っていないのですが、もはやほぼ品切れ状態。ネット書店でも在庫なし。こういうのってあまり売れないんでしょうかね。
              初版の売れ行きが芳しくなければ増刷しないんだろうなあ。小粒で派手さはないけれど、しょうもない三流ノベルズが次から次に山積みにされていることを思うと、こういう好著を生き延びさせていてもバチは当たるまいと思うんですけどね。
              ちょっと残念。
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