BRUTUSに大友克洋が(キング堂 ブログ支店)
というkingdowさんのエントリで久々に「今の」大友克洋氏の絵を拝みました。
BRUTUS (ブルータス) 2007年 1/15号 [雑誌]
おおっ オサレな表紙でカッコいいなー!
肝心の特集のほうはアレでも表紙がこれならインパクト抜群かもしれない。
カップヌードルの宣伝なんかでたまに大友氏のキャラにはお目にかかってましたが、こんな見せ方は勿体ないよなと常々思っておりました。
まあ何してもカッコいいのはカッコいいんですけどね・・・なんていうかカップヌードルじゃなくてもいいのにとかCMじゃ短すぎるじゃんとかつい色々頭をよぎるわけで。
私が大友作品で一番好きなのはコレ。
童夢
大友 克洋
1980-81年にかけて執筆、単行本としては83年に発表された「童夢」。
「気分はもう戦争」や「ハイウエイスター」等々の作品で卓越した画力と個性を持った漫画家と評価されていましたが「童夢」はそれら作品の集大成を兼ねた会心の出来だったと思います。
初期作品の若者の貧乏臭さとか汗の匂いとか生活感溢れすぎの部屋とか、あのへんは何となくつげ義春っぽい暗さとアジア的湿気が漂っていたもんですが「童夢」は団地が舞台。
無機的な巨大団地のなか、人々は大勢居るはずなのにどこか孤独。ひんやりとした都会の
空の下、超能力の闘いが行われます。それも老人と少女の間で。団地でのサイキック・アクションは革新的な表現で圧巻。日常に潜む非日常・崩壊する世界・心理的恐怖。こんな緊張感ある作品ほかに見たことないです。
人は老いるにつれ幼児に近くなっていくといいますが、ここに出てくるチョウさんは一種のアダルトチルドレンなのだという説を頭の隅に留めたまま読むとまた違った側面が見えてくる気が。
超能力もの漫画というと大概が哀愁漂うイケメンヒーローなエスパーとか、複雑な生い立ちを持った美少女とかがまあ一般的にウケる設定だったりするものですが、「童夢」では一人は老人だし対峙する少女は見かけがリアルにこどもすぎるし、あんまり可愛くない(爆)
大友氏はかわいい女の子が描けない作家だったのだこの頃は。初めて「AKIRA」のケイを見たときは「大友さん、頑張ったね・・・!」って思いましたもん。
それにしても「AKIRA」は単行本では4巻までは1年に1冊のペースで出していて、それでもファンにとっては長い待ち時間だったのですが、4巻から5巻までは連載休止を挟んだため3年という歳月が流れてしまいました。(そのあとの最終巻6巻まで、また3年)
・・・・。
途中にアニメ映画の製作に関わったのが主な原因なんでしょうが・・・ううむ。
それでも映画は試写会で観ることができたのですが・・・観終ったあとは微妙だったです。
漫画が完結していなかったため、どんなラストにするかは苦心したのでしょうきっと。
それがどうも無理のある持って行き方だったので映画としてはちょっとね。
漫画をちゃんと完結させてから「デスノート」みたいに前編後編に分けて映画化するとかすれば良かったのにと思う。
それでも映画「AKIRA」は大きな影響を及ぼしたみたいです。
これはアニメ化された漫画全部に言えますが、アニメになるとどうしても演出過剰になりがちで漫画が持っていた間合いみたいなものが消されてしまうんですよね。
ともかく、1巻でストーリーがきっちりと読み終えられる「童夢」の読後感は濃いです。
そりゃあ「AKIRA」も一気に通しで読めばもっと印象深かったのかもしれないのだけど、リアルタイムで3年待たせられるというのは辛いものがあったぞ・・・・・・。
大友さん、またじっくり長編漫画描いてくれないかなあ。