先日、
国立西洋美術館で開催中の
ムンク展を夫と観に行ってきました。
2人で美術館なんていつ以来だろう。
うちは仕事が基本的に自宅内なので、夫が家に居ない日のほうが珍しいくらいで、お子達も父親が居ないと「おとうさん今日はどこに行ったの?」とそれぞれが訊きに来るくらい。とにかく「父親は家に居るのが当たり前」みたいな家なので、夫婦いっしょに居る時間はたぶんすごく長いのでしょうが、こういう風に2人で出かけるのはかなり久しぶりのことです。美術館にお出かけなんて数年ぶりでは。たまにはこういうのもいいですね。
ムンクはまとめて観たことがないので、是非観たかったのです。
ムンクといえば「叫び」がパッと思い浮かびますが、ああいった重い色彩以外の作品も数多くあり、狂気も生命力も希望も絶望も全てを描き出そうとした画家だったことに気付かされました。
こういう大きな美術展のいいところは、多角的な方向からアーティストの作品を観ることができることですね。
たぶん、所蔵美術館から借りられた作品がそうだったから・・・というのもあるのでしょうが、未完の作品がいくつも目に付きました。
もう、何と言うか、明らかに「書きかけ?」みたいな作品もあり、ちょっと笑いそうになったものもあったな・・・(爆)
まあね、多くの場合画家というのは1つの作品だけにかかりきりになっているわけではなく、並行して作品に取り組んでいるんでしょうね。
んで、あっち書いたりこっち書いたりしている。中には「ちょっとこれはしばらく置いておこう」みたいのもあるでしょう。
大体において美術というものはどこまでやったら完成というような明確なゴールはありませんから、どんな段階で完成なのかというのもまた難しい。
作品解説にも「この部分は発表時には無かったが、後年、加筆された」みたいな記述がいくつか見受けられましたし、ムンクという作家は自分の作品についていつまでも思いを巡らしているタイプなんだろうなと感じました。
そのせいか、制作途中っぽいものが多いっていうか・・・まあ、そういう人間くさいプロセスを感じることができるのも美術展の面白さなのかもしれません。
さすがにオスロ大学講堂の壁画にするようなプロジェクトになると仕事も手が込んでいて映像で観る限りでは完成度の高そうな作品なんですが、そういう作品は「現場保存」されていて動かせないので、現地に行かなくては本物を観ることはできません。
興味深かったのは「リンデ・フリーデ」という作品群。
ドイツの眼科医でありムンクの支援者でもあったマックス・リンデは子供部屋の装飾パネルをムンクに依頼するのですが、出来上がった作品がどうも子供にふさわしくない雰囲気・・・。気になったリンデは制作途中段階でムンクに手紙を出しています。
「男女がキスしたり愛し合ったりする絵は描かないでください。子供はまだそんなことはわからないのですから・・・。風景画などのほうがふさわしいように思います」
作家のプライドを傷つけないように丁重に、しかしきっぱりとした文面でクライアントとして注文をつけたのですが、ムンクは無視して描き上げてしまうんですね。
結局、リンデは仕上がった作品の受け取りを拒否してしまいます。
不思議だなと思ったのは「何でよりによって子供部屋の装飾をムンクに依頼したかなー」ということ。
ムンクの作品は退廃的だったりエロティックだったり、どう見ても子供向きな雰囲気ではないよね。ムンクの作品に魅力を感じてパトロンになるのであれば、自分の注文はちょっと無理な内容であろうと最初から分かりそうなもんですが・・・。
あえて、自分の依頼によって作風を変えさせてみたかったとか?
クライアントとの確執というのはいつの時代も同じなんだなあ。絵画だの工芸だの、何らかの創作活動で生きていこうというのは現実との擦り合わせが難しいものです。
芸術性と商業的であることはまるっきり対称に位置するものではなく、共存し得ることだと信じたいですが、そのバランスを判断するのが当事者にはなかなか困難なんですね。
マドンナ
1895年
オスロ市立ムンク美術館
生命のダンス
1925-29年
オスロ市立ムンク美術館
内省的な作品を創造するひとというのは、母親を早くに失っているひとが多い気がします。
ムンクもその1人で、姉にも若くして死に別れてしまっている。
子供時代に肉親を亡くした喪失感というのは、その後の人生に計り知れない影響があるのでしょうね。その喪失感や欠落感が創作への原動力になるのだとしたら、神様はまるでそのために選ばれたひとに試練を与えられたのだろうかとも考えてしまいます。
上野・国立西洋美術館にて2008年1月6日(日)まで開催中。
その後はこちらでも→
兵庫県立美術館にて 2008年1月19日(土)〜3月30日(日)